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2010年08月03日

「元気・やる気・勇気」継続!実践通信レター

「元気・やる気・勇気」継続!実践通信レター 2010年8月3日号 No64


暑中お見舞い申し上げます。

◆きょうの教訓

 「継続は力なり」を実感するには、ただ単に長く続けていく、とりあえずやめない、ということではなく、「断続しないこと」が大切なのです。断続しないことこそ力なり、なのです。


◆「高橋福治先生」 ~9 ~
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 「沖縄には、きっと自分と同じような目の見えない人がいるだろう。」…盲
目の青年は、沖縄に盲学校をつくろうと決意した。盲人(視覚障がい者)の
教育や自立に生涯をかけた高橋福治先生の業績を紹介していきます。
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前回までの概要

 1895(明治28)年7月7日、高橋福治先生は宮崎県延岡市生まれ。
4歳のとき右目を失明。その後左目もほとんど視力を失った。
 1912年(明治45年)大分の盲唖学校入学。21歳で卒業。沖縄県庁
へ問い合わせた返事は、「1.盲学校はない2.あんまなどの試験は
行われていない3.盲人があんまで暮らしを立てる見込みはない」。
 1920(大正9)年3月沖縄へ向かった。午前中は無料で3人の生徒に点
.字やあんまを教え、午後からは生活費を得るために働いた。かたわら、
盲人の教育の必要性を親に話して回った。
 1921年(大正10年)5月1日生徒数が10人を超え、沖縄訓盲院を設立。
翌年3月18日初めて2人の卒業生を送り出した。1924年(大正13年)文
部省が訓盲院を私立盲学校と認可。院長から校長になった。
 1924年(大正13 )年秋、兄の紹介で宮崎県の農家の出身の「久美」と結
婚。久美夫人の手引きで離島へも行けるようになり、目の見えない子供や
親を訪ね、那覇にある盲学校への入学を勧めて回った。1931年(昭和6
年)伊江島から、初めて2人の生徒が盲学校へ入学。翌翌年には那覇市
松尾に新校舎を建て、移転、生徒数は20人を超えた。伊江島をはじめ、久
米島、宮古島、八重山の島々まで高橋校長は出かけた。 1943年に全国
で45番目の県立として、ろうあ学校といっしょに、沖縄県立盲ろう唖学校に
なった。高橋福治先生が初めて沖縄の土を踏み、那覇市の公会堂の片隅
で、3人の盲人に点字の読み書きを教え始めてから、23年の歳月が流れ
ていた。1945年(昭和20年)2月沖縄盲学校の疎開先折衝のため宮崎へ
戻った。そのまま沖縄に戻ることはできなかった。3月、戦災で盲学校が焼
失。
1952年10月、高橋校長は7年ぶりに那覇に戻った。翌年1月所有していた
土地の再登記が終了。1955年(昭和30年)高橋校長の還暦祝いが教え子
たちによって開かれた。1960年11月、宮崎に引き上げた。戻るに当たり、
再登記してあった、那覇市松尾の602坪と壺屋にある209坪の811坪を沖縄
の盲人福祉協会へ寄贈する登記を済ませた。1920年からの20年間と、戦後
占領下の8年間、合計28年間、自分の生きがいを沖縄の盲人の生きがいに
つぎ込み、宮崎に戻った。「裸一貫で沖縄に渡り、裸一貫で帰ってきただけで
すよ。今では、死んだら沖縄の土になりたいだけです。」
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 宮崎へ戻った翌年(1961年)、東京の平方研究所に、3か月間住み込ん
だ。指圧の新しい勉強のためだった。所長は驚いた。沖縄に盲学校を作
り、校長として多くの盲人を育てた人が、一研究生として入所したのであ
る。所長は、特別に扱おうとしたが 、高橋福治は、あくまで一研究生で
ありたいと願いでた。入所して、勉強だけでなく、便所の掃除を一人で受
け持った。「僕は好きでやっているのですから、どうか気を使わないで僕
にさせてください。
 1974年、高橋福治が寄贈した土地、元の沖縄盲学校跡地に建った沖
縄盲人福祉会館の落成式の招待状が届いた。招待状には旅費として3
万円が添えてあった。むろん飛行機代という意味である。それまで、沖
縄との何度もの往復に一度も飛行機を使わなかった高橋福治は、「この
3万円は福祉会館落成のお祝いにしよう」と言い、船で沖縄へ旅立った。
沖縄盲人福祉会館は、鉄筋コンクリート一部地下一階、一部五階で、建
物の総面積は約900㎡。点字図書館や書庫、テープライブラリー、会議
室などがある。同年5月、ヘレンケラー賞を受賞。

  (以下、続く)
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(参考図書)  盲目の先達・高橋福治 『デイゴの 花かげ』 
  赤座憲久 作、 山城見信 絵    小峰書店

この本をご希望の方は1冊1,000円でお送りしますので、メールでご連絡ください。
やんちオフィス yanchi.office@gmail.com
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6月、沖縄県にある沖縄盲学校と沖縄県視覚障害者福祉センターを見学
してきました、「裸一巻で沖縄へ渡り、すべての私財を沖縄の視覚障がい
者のために捧げ(寄付し)、また裸一巻になって宮崎に帰ってきた」高橋福
治先生の業績をひとりでも多くの方に伝えたいと思います。
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夏休みに入り、早いものでもう2週間が過ぎました。親子で読書や読み
聞かせに、参考図書『デイゴの 花かげ』を使っていただけるとうれしいです。
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「ミラクルノニ100%ジュース」パワーで、萩往還70kmマラニック(5月)完
踏 しました。熊本~八代~人吉、100kmマラニック完走しました(7月)。

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