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Posted by みやchan運営事務局 at

2010年02月02日

偉大な先人に捧げるコンサート

1990年7月31日、沖縄県具志頭村で誕生
「生まれつき目が見えない」
網膜異形症~眼球はあるものの網膜が無いため、光すら感じることができない~

大城友弥くんは現在19歳、昨年沖縄盲学校を卒業

~ハートフルシンガー~大城友弥

沖縄盲学校を設立したのは、宮崎県延岡市出身の高橋福治氏
高橋氏自身も4歳のとき、樫(かし)の木の先が目につき刺さって失明、
大分盲唖学校で17年間学び、卒業後、沖縄に盲学校がないことを知ると、すぐに沖縄の那覇市に向かった。1920(大正9)年のことである。
当初、那覇市公会堂の一隅を借りて、3人の盲人を相手に点字の読み方、書き方、そろばんなど教えたのがはじまりである。
しかし、3人の生徒から月謝をとるわけにもいかず、そうかといって市が補助してくれるわけでもなかったから、午前中は生徒たちに教え、午後はあんまや治療などの仕事をして金を得なければならなかった。

こうして高橋氏は、伊江島、八重山、台湾にも学校をひろげ、いよいよ那覇市松尾と壷屋に2,643平方メートルの敷地を取得、本格的な盲学校をつくった。

彼が偉大なのは、それらの土地を「裸一貫で沖縄に行って盲学校をつくり、裸一貫でまた帰ってきた。死んだら、沖縄の土になりたいと願うばかりだ」と生前、語ったようにその財産をすべて沖縄盲人福祉協会に寄贈したことだ。
沖縄が本土に復帰して2年後の1974(昭和49)年3月、寄贈された土地に、地下1階地上4階建て(延べ床面積900平方メートル)の「沖縄盲人福祉会館」が建設された。

高橋氏はすべての活動が高く評価されて、1974年5月にヘレンケラー賞を受賞したが、同年12月には胆道ガンにやられ、とうとう帰らぬ人となった。79歳であった。
高橋氏の墓は、宮崎市池内町と浦添市前田にふたつある。


そんな故高橋氏に敬意を表し、感謝の思いを伝えたいと、大城友弥君が宮崎で
コンサートを開催します。

2月21日(日) 午後4時~午後6時 宮崎市 レマンホテル
入場無料 (事前に入場券を発行します。やんちオフィスへお申し込みください)

お申込み・お問い合わせは
やんちオフィス TEL&FAX 0985-52-1820
メールyanchi.office@gmail.com

大城友弥くんの「ひとりじゃないから」…
  

Posted by やんち at 15:30Comments(0)情報